ユキミ物語その4〜お客様の私小説より
この写真をご依頼くださった彼女が最近、
彼が亡くなるまで一緒に過ごしたストーリーを
小説のように文章化してくれました。
この撮影についても
長文に渡って熱を帯びた文章で書かれていて、
私は涙した。
フォトグラファーとしての自分の佇まいを
こんなにも客観的に知る機会はなかったからだ。
彼女から許可をいただき、
掲載させてもらうことにしました。
(ほぼ原文のままです)
【行美と過ごした1カ月間】
(十)二人の愛を写真に遺す
(その4)予想外の反響
撮影の翌日に、二人の愛の時間を留めた写真の数々がエミ子から納品された。
それと同時に、エミ子がポートレート100人斬りに選んだ行美の写真が
彼女のSNSのタイムラインに掲載された。
作品には必ず、本名と年齢、そして本人自らが名乗った肩書を添えることになっていて、
行美のそれへの回答は「アーティスト」であった。
エミ子はそれをアルファベット表記にするかカタカナ表記にするかということまで丁寧に訊いた。
彼女が100人斬りの作品をSNSで紹介するときは、上記の3点に、
彼女による無駄の削ぎ落された一文が添えられるだけのシンプルな形態をとっていた。
彼女が行美の写真に添えた一文は、
「瞳の奥の優しい光。」
というものだった。
「アーティスト」という部分には関与しない、
もう一つの行美の本質を彼女がちゃんと見抜いてくれたことが私には嬉しかった。
この作品は、これだけで行美という人の全体を表現していた。
SNSという宇宙に浮かんだこの作品に押されたリアクションの数は、
彼女の100人斬り作品の中で決して多いほうではなかったが、
彼女自身に対して押されたものの他は、
自分と知り合いではない人が写っているこの写真作品に対して純粋に押されたと考えると、
各々がその中に感じてくれたものが何であれ、ありがたく、尊く感じられた。
行美の姿をインターネット上に公開することなど全く想定していなかった私は、
そうか、写真家であるエミ子の仕事はこんな形で彼の存在を社会に遺すことができるのか、
という事実に今さら気づいて驚愕した。
「撮影してもらってた時間って、私はすごく幸せだったよ。
ねえ、あの時間って、一瞬だけでも病気のことを忘れていなかった?」
納品された写真を私の小さなスマホ画面で見せても興味を示さなかった行美は、
私のその質問に対しては
「確かにそうだったよ。」
と答えた。そして、
「キミはいい友達がたくさんいていいなあ。」
と言った。
行美にちゃんと写真を見てもらおうと、
作品の中でもお気に入りの8枚をカメラ屋さんで大きめにプリントしてきたのは、
やっと6月9日のことであった。
行美は二人の写真にはほとんど目もくれずに、
エミ子が100人斬りに選んだポートレート写真を凝視して、
「私はこれだ。彼女はやっぱりわかってる。」
と言った。彼女が作品の中にふんだんに取り入れた陰影を指差して、
「やっぱり、プロとして相当のレベルを持った人だね。
ほら、陰影を使っている。カメラマンというのは陰影を使うものだよ。」
と高く評価した。
確かに、ポートレート写真は顔の向かって左側半分だけに陽が当たり、
左右でくっきりとした明暗のコントラストを成していた。
それはまるで行美の内面そのものを表しているようであった。
彼が亡くなったのち、私は彼が絶賛したこの写真を遺影に選んだ。
また、裸で撮られたことに関しては、
「アーティストはCDのジャケットなどでよく裸を撮らせたものだ。
裸体がいちばん美しいことなんて、私は前からとっくにわかってるから。」
と言った。
エミ子とやり取りを重ねる中で、行美と私の二人で写っている写真も彼女のブログで紹介させてほしい、という話になった。
私が図らずも彼女に出したオーダーが、男女の深い愛の関係を撮るという彼女にとって初めての領域へのチャレンジとなり、また手応えのある作品を撮れたことから彼女はそれを内心では発表したいと感じていたことを知り、私も嬉しく思った。
私たちの愛のあり方を、物語を、フォトグラファーに写真という手段で表現してもらえるのは願ってもないことだった。
行美も公開に反対はしなかった。プライバシーに気をつけてくれるならば公開するのは構わない、と言った。
≪お写真をご紹介する時に、行美さんのご病気のことに触れてもいいのかな?≫
というエミ子の問いには、
「それは書かないほうがいい。なぜならそれは情を搔き立てるものだからね。」
と言った。
「そういう情報は書かないで、作品自体に語らせたほうがいいってこと?」
と私が訊くと、
「そうそうそう!」
と、芸術に疎い私の珍しく冴えていたらしい言葉に大きく同意しつつも、
「そう私は思うけど、発表の仕方は彼女の思うようにしてくれて構わないよ。」
と、芸術家の表現の自由に敬意を払った。
6月12日、エミ子は自身のブログに私たちの慈しみ合う写真を載せ、それをSNSでもシェアした。
「白血病で先がわからない彼」という物語の悲哀がどれだけ観る人に訴えかけたのか、
それよりも純粋に愛の美しさに心を打たれたのか、
エミ子のブログは数日にわたって反響が鳴りやまなかった。
通常の撮影レポには無いほどの反響の多さで、
普段全くリアクションのない人やカメラ関係の大先輩まで「いいね!」を押してくれたとエミ子は喜んだ。
私はみなさんから続々と寄せられるコメントを読んで涙した。
行美の存在や私たちのあり方を、純粋にその姿として、
これだけたくさんの人が知ってくれたこと、
感動を寄せてくれたことで、私の中の何かが報われたような気がした。
撮影編〜おしまい